Bizアド株式会社代表の米丸剛について

Bizアド株式会社代表の米丸剛について

受講者が数々の実績を残しているBizアド株式会社ですが、代表の米丸剛さんはどのような人物なのでしょうか。
米丸剛さんのプロフィールとその人物像について紹介していきます。

プロフィール

米丸剛さんは1964年に鹿児島県霧島市で生まれました。
現在は、Bizアド株式会社の代表を務めていますが、前職は鹿児島県庁職員として働いていました。

趣味はWeb制作や英会話、洋書の読書、作曲、ピアノ演奏としています。
特に幼少期から音楽が好きで、社会人になってからもジャズの演奏理論などを学び、県庁時代にはPRソングも手掛けてきたそうです。

人物像

自分の経験やノウハウを伝えていこうとする米丸剛さんからは、奉仕力が高く人が好きという印象を受けます。

また、自身のInstagramではセッションの合間にスターバックスに行き、一息ついている写真がよくアップされています。
そのなかでも、クライアントの成功に喜びを感じているコメントや幸せを願うコメントが多く残されていることから、米丸剛さんの人柄の良さも伝わってきます。

また、コーヒー以外にもケーキやドーナツなども多くアップされており、甘党であることもわかります。
凄腕の起業家でありながら、どこか親近感が湧いてくる、そんな人物像がうかがえます。

米丸剛の経歴

米丸剛さんの経歴をみていきましょう。
順風満帆にみえますが、起業を目指している頃は苦労もされているようです。

ここでは、県庁時代からBizアド株式会社設立までの経歴を紹介していきます。

輝かしい鹿児島県庁時代

筑波大学(理系)を経て、鹿児島県庁に行政の上級職として入庁します。
この頃は、「上のポストに就かなければ、やりがいのある仕事ができない」と思い、上司に反抗することもなくクオリティの高い仕事を意識して上のポストを目指していたようです。

34年間県職員として真面目に勤め、最後には一番やりたい「鹿児島県の観光対策監」という、部次長級のポストに就任することができました。

また1993年に東京の三菱総合研究所に派遣され、1年間従事した経験があり、そこではプログラムの企画や戦略思考、ロジカルシンキングを学んだそうです。

このように、鹿児島県庁時代は輝かしい実績を多く残されました。

早期退職後に起業を目指す

2021年に34年間務めた鹿児島県庁職員を早期退職し、起業を目指しました。
このとき、米丸剛さんは57歳でした。
最初はWebデザイン制作での起業を目指してプログラミングを学びましたが、なかなか軌道に乗ることができずどん底を味わったそうです。

稼げない時期は、TOEICのスコアが870点である強みを活かして英語の塾講師もしていました。
そんな生活は2〜3ヶ月続いたようです。

起業コーチングに舵を切り事業を拡大

その後、起業コーチングをしている同郷の人との出会いをきっかけに、コーチングで起業することに舵を切りました。
米丸剛さん自身が3ヶ月間のセッションを受けたことでコーチングの魅力とその価値に気付いたといいます。

2021年9月にコーチングで起業をした後、知り合いへの声掛けや紹介を通してクライアントが徐々に増えていきました。
コーチングを始めてから約4ヶ月で、契約金が190万にまでなり、その後も安定して月100万円稼げるようになったそうです。

さらに起業コーチングをするうえで、Web集客を仕組化することの重要性に気付き、Web広告の仕組みを作りました。
その後2022年からは、Web集客の仕組み構築コンサルティングのサービスを開始するなど、事業を拡大していきました。

Bizアド株式会社を設立

2023年には、Bizアド株式会社を設立し、代表取締役に就任します。
サービス内容は以前と変わらず、起業コーチングやWeb集客の仕組み構築コンサルティングをおこなっており、現在クライアントは150名を超えているそうです。

さらに2024年には国家資格である行政書士を取得・登録したことで、クライアントの契約書をチェックするなど、より専門的な視点からアドバイスができるようになりました。

今では十分な収入を得ているようですが、現状に満足せず一人ひとりに向き合い、クライアントの幸せと成功のためにサポートし続けています。